傑出した短編マンガ
小出もと貴さんの「アイリウム」が過去最高におもしろい。セリフ回しのテンポや雰囲気の良さ、さっぱりとしていて味わい深い読後感など、非常に質が高く何度も読み返してしまう。
特に心奪われたのは「娘との最後の2時間の記憶を手放したロックンローラー」の話だ。
作品はリンクから全編が読める。
記憶を無くす薬「アイリウム」
アイリウムとは記憶を無くす薬で、作品ではこの薬にまつわるエピソードが展開される。
それぞれ短編として独立していて、各話に直接的なつながりはない。
過去の記憶を無くす薬なら、あるいは心置きなく飲めるのかもしれないが、アイリウムは未来の記憶を消す薬である。
ここに設定の巧みさが光る。
アイリウムは過去への消しゴムではなく、未来の可能性と絶望の否定だ。
手放すことをジャッジするのが『現在の自分』であることに作品のメッセージ性を感じる。
ほんのりとしたあらすじ
紹介するのはロックシンガーとその娘の話。
導入は主人公が「なんのためにライブをやっているのか?」と離婚した妻の娘から嫌味を言われるところからはじまる。
五十路を過ぎても梲が上がらないミュージシャンの父に、娘はある種の諦観と侮蔑を抱いていただろう。それが母親との離婚の遠因になったのだと、彼女は解釈していたからだ。
自分の結婚を機に、今日で会うのは最後にしようと娘は切り出す。
取り出したのは、互いの最後の記憶を消すためのアイリウムだった。
バリー・ロットンの生き様
一見、ロクデナシに思えた父親の懐の深さに崇高さを感じる。
彼が若いころに歌っていたジョー・コッカーのザ・レターはすべてを捨てて愛した女のもとへと向かう荒削りなロックだが、その後リクエストを受けた We’re All Alone は寝室で静かにカーテンを閉じるような甘ったるいラブソングだ。
彼はすでにここで生き方を変えている。
ホレた女に、生涯初めてのバラードを送った。もしかしたらこの時、彼の人生は決まったのかもしれない。
紆余曲折を経て別れたあとも、彼は一言も妻を責めることはなかった。
それはきっと、彼が家族を愛することに徹したからだろう。
あるいは、それ以外の生き方がわからなかったのかもしれない。
ロックな男は、迷いや葛藤を抱えつつも、ロックな自分から離れられなかった。
よく言えば一本気ではあるが、彼自身が吐露するように、歳相応の柔軟性に欠けていたともとれる。
音楽を続ける自分にどこか自嘲気味な空気を纏わせているのも、過去へのわだかまりが胸の奥につかえているからかもしれない。
記憶とはなんなのかと彼は問う。
作中に答えはないが、裏腹に最後のセリフは「脳みそにこびり付いて忘れられねぇ曲をお見舞いしてやるぜ」である。
娘の結婚式の後、妻は We’re All Alone のレコードを手元に置いている。
バリーがこの曲を歌ったのは洋子と出会った日、つまり彼女がアイリウムを飲んだあとだ。
彼が妻と出会い、別れてからもライブで毎回カバーしてきたバラードは、どこかで彼女の心に残っていたのかもしれない。
理想や愛情などの『記憶』は薄れていくもの。だからこそ音楽があるのだと、ラストのモノローグのセリフは冒頭に対するアンサーとして結ばれている。
令和史上最高にロックな男
We’re All Aloneは「すべてを忘れていっしょにいよう」といったメッセージの曲だ。
すべてを忘れた妻がこの曲をおぼえていたこと。彼がこの曲をずっと忘れずにいたこと。
そして、彼らがいっしょにはいられなかったこと。彼らの娘が、パートナーといっしょになれたこと。
家族それぞれが別の道を歩むことになったが、彼らは音楽でつながっていたのかもしれない。
記憶が無くなっても過ごした時間は消えないと、ロックな男がその生き様で伝えてくれている。
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